ドキュメンタリーとは・・・
『ドキュメンタリー映像』とは、何か?
それは、『真実を、ありのままに表わす映像』です。 その場で起こっている事変を、ありのまま撮影して、ありのまま描き出す。 それがドキュメンタリー映像です。
では、『ドキュメンタリー映像』と『記録映像』とはどこが違うのでしょうか。
ドキュメンタリー映像と記録映像の違い
二つの映像は、考え方や目的において大きく異なります。
『記録映像』は、なるべく多くの人に、そこで起きている状況を忠実に伝える事を目的にしており、その映像の裏側にある事柄や撮影者やディレクターなど、表現者の思いや考え方は、一切入り込んではいけません。
それに対して『ドキュメンタリー映像』は、単なる記録の為の映像ではありません。その場で起こっている現象の向こう側にある真実を、映し出す事を目的としています。
ドキュメンタリー映像の具体例
例えば、娘さんが嫁ぐ日の父親を撮影したとします。
父親は「全然悲しくなんかない!せいせいした!」と語ったとします。ドキュメンタリーで描きたいのは、悲しくないと語る父親の言葉の向こう側にある、悲しさ・寂しさ・切なさ・・・そして、喜び・満足感・・・です。
言葉にすれば簡単なのですが、それを映像にする事は非常に難しいもの。人間の発する言葉は、たった一言に、実は沢山の思いが込められているものです。
ドキュメンタリストやドキュメンタリーカメラマンは、言葉の向こう側にある様々な真実を、瞬時に感じ取り、汲み取らなくてはなりません。そして、その思いを映像で表現しなくてはなりません。
では具体的に、例題の父親の、何を撮影するのか・・・。
それは・・・・・残念ながら、答えはありません。その時、その時で、父親の気持ちを表現するべき映像が異なるからです。時には、父親の大きな後ろ姿であったり、震える肩であったり、握った拳であったり、涙を堪えている瞳であったり・・・・・狙うべき映像は沢山あります。
もしかすると父親の気持ちを表現するには、父親自身を写すよりも、父親の気持ちを受け止め聞いている娘の顔かもしれませんし、父親の心を支えている母親(奥さん)の姿かもしれません。
また、場合に寄っては、人間を撮る事ではなく、娘が父親に渡した花束であったり、父親が落ち着きなく吸っている煙草であったり、娘が父親に渡した手紙など、撮影するべきは、人ではなくて物かもしれません。
その・・・どの映像をチョイスするか、その瞬間瞬間で何を撮影するかが、カメラマンそしてディレクターのセンスとなります。
ドキュメンタリストの仕事とは・・・
ドキュメンタリスト・・・つまり、ドキュメンタリーのディレクターが、現場でやるべき重要な事は、被写体である人物の、心の奥にある気持ちをいかに汲み取り理解するか、そして、その思いをいかに表に出させるかと言う事です。
また、その事を確実にカメラマンに伝え、的確に指示するかと言う事も大切な事です。その為に必要な事が、父親に投げ掛けるインタビューであり、撮影の前に被写体との間に構築する信頼感の有る関係です。そして、ある意味ドキュメンタリストにとって一番大切な仕事が、編集作業です。
それぞれ被写体の思いを受け止め、そこにドキュメンタリストとしての考えを加味して、沢山の事実から、たった一つの真実を見い出す作業をしなくてはなりません。つまり、被写体の人生を・・・生き様を・・・作り手は背負わなくてはいけないのだ、と考えています。
ドキュメンタリー映像の醍醐味
先程は、『娘の嫁ぐ日』の撮影を例題としましたが、その他にはこんな場面もあります。
ボクシングの試合ならば・・・
打ち合っているボクサー同士の動きを、分かり易く撮影するのが記録映像です。 ドキュメンタリー映像の場合、勿論、打ち合いも撮影するのですが、それと同時に、闘志溢れる瞳を狙ったりします。
それが、試合が進むにつれてどう変化して行くか・・・心が折れたり、また逆転して闘志が蘇ったり・・・その心の変化こそが、ドキュメンタリーそのものなのです。
もしかすると、ボクサーを撮影するのではなくて、セコンドの表情で試合の状況や進行を表現したりする事もあるかも知れません。撮影する方法も表現方法も、実は沢山あり、どれにするかが作り手のセンスであり、作品の良し悪しとなるのです。
大手術を終えた患者さんの撮影ならば・・・
オペ室から出て来た患者さんの顔や姿を撮影するのが最も基本的な撮影でしょう。しかし、心配して待っていた家族の方が、撮影するべきものなのかも知れません。全ての事柄は、その瞬間、瞬間に・・・同時に起こっているのです。
しかし、撮影するのは1人のカメラマンであり1台のカメラ。そして、映像として切り取れるのは、1つの映像だけ・・・・・。
瞬時で、何を選択しどの様に撮影するのか?
この事は非常に難しい問題です。でも・・・実は、それこそが、ドキュメンタリーの一番の醍醐味でもあり、挑戦し続ける楽しみでもあるのです。